風流堂とは

ご挨拶

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会社概要

2 代表者 内藤 守
会社名 有限会社 風流堂
所在地 (本社)〒690-0021 島根県松江市矢田町250-50
創業 明治23年(1890年)
設立 昭和25年1月27日
代表者 内藤 守
電話番号 0852-21-2344
FAX番号 0852-23-2344
従業員数 69名

 

山川復刻の物語
風流堂の起源を探るとそれは江戸時代まで遡ることになります。
最初は新潟と松江間の回船業を営んでおりました。後に風流堂の創設者となる初代内藤竹次郎が陸運の発達により海運業がすたれたため、商売替えでお菓子屋を始めたのが、明治23年(1890年)のことになります。 各土地から多くの職人を招き、菓子作りの技法、味を学び習得してきました。そのため京(上方)菓子、江戸菓子を含め、様々な土地の菓子の製法が風流堂に蓄積されていきました。

1また、松平不昧公好みのなかに、「山川」というお菓子があります。 二代目隆平の時代、大正のはじめに当時の町の有力者の集まり”どうだら会”より町おこしの一環として、この「山川」の復刻を依頼されました。
「山川」の復刻には困難を極めました。江戸時代のお菓子である「山川」は、幕末から明治へとの時代の変革の中で製法が失われていました。わずかに残された文献を読み、古老や茶人をたずね、原材料となる「寒梅粉」自体の製造をはじめ、ようやく約100年の時を経て、「山川」が復刻することになります。

そして、松江の名物にと、隆平は、この「山川」が誰にでも作られるように、その技術を他のお菓子屋にも広く伝えていきました。

それもすべて、茶の湯が日常に愉しみとしてある松江のお客様に求められたからといえます。
我々風流堂はお客様に育てられて参りました。
菓子職人の技とまごごろでこれからもお客様に愛されるお菓子を作り続けていきます。

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(写真左:二代目 内藤隆平 写真右:当時の風流堂本店)
風流堂と松平不昧公
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松平不昧公
日常に根付いた茶の湯の文化のある松江。その起源は、江戸時代後期の大名茶人として知られている松平不昧公の影響が大きいと言われています。
宝暦元年(1751)江戸生まれ。明和四年(1767)17歳で松江藩の藩主となり、出羽守治郷(はるさと)と称しました。18歳で茶道に入門し、19歳で禅の道に入ります。「不昧」という号はこのときに授かります。不昧公が松江藩主になった頃、藩の財政は困窮を極めていました。倹約につとめ、財政の立て直しに力を入れました。 一方、文化人として名高かった不昧公は、その類い稀な美的センスで多くの功績を残しました。その中でもとりわけ茶人としての才能は一流であり、石州流を学んだ後に自ら「不昧流」茶道を大成します。さらには、蒐集家としても有名だった不昧公は、多くの茶道具や古今の名器の収集を行い、その収集品は「雲州蔵帖」と呼ばれ、一品一品に自らのランク付けをし、その研究成果を著作として残しています。
不昧公は、茶会に用いた数々の和菓子の記録を「茶事十二ヶ月」に残しています。そのいくつかは「不昧公好み」と呼ばれ、今でも松江を代表するお菓子として親しまれています。
晩年の不昧公は、自らの好みの茶室を作り、茶の湯三昧で過ごしたといわれています。文政元年(1818)隠居生活を過ごした江戸大崎にて68歳の生涯を終えています。「松江藩主松平家墓所」として国の史跡に指定され、アジサイ寺としても有名な「月照寺」には、不昧公の墓は天守閣を望む場所に建てられており、歴代藩主たちと共に静かに松江城下を望んでいます。 この不昧公の茶人としての活躍を目にすることができたことが、茶の湯の文化が松江に深く根付くきっかけとなりました。


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風流堂所蔵「雲州蔵帖図鑑」

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